【大分県の方言】なんかかりたい、その背中。方言だと知らずにきゃぴる私

 

「なんかかりたい」って標準語じゃないんですか?

 

夫にくっつきたかった時に「なんかかっていい?」と言ったら全く伝わらなかった。

(くっつきたいとか、乙女か! 乙女です。)

 

 

 

きゃぴっと「なんかかっていい?」

照れ、可愛い、うふ、好き、的な気持ち悪い要素を入れつつ、「なんかかっていい?」と言って伝わらなくても、それも夫の照れ隠しだと思って、「え~なんかかっていい?」というが、実際は伝わっていなかった。

 

 

 

そういえばもっともっと前、夫とまだ結婚する前の付き合っている時に、

「ソファになんかかりなよ」と言ったら、それも通じなかったのを思い出した。

 

 

 

「なんかかりなよ、って何語だよ~」と笑われた。

 

 

 

いやいや、なんかかるんだって。と共通語だと生まれた時から思っていたから、「あ~北海道の人だから、標準語でも伝わらないこともあるんや」と思った。

 

(北海道の人に失礼か!すみませんでした。日本語じゃないのは私です。)

 

 

 

なんかかる、とは「もたれかかる」という意味です。

「もたれかかる」なんて人生で一度も使ったことありません。生まれてからずっと「なんかかる」一筋です。

 

 

 

上京して方言を発すると、友人に「それ、方言だよね」と言われることが多くなり、

意識するとその方言はなかなか出てこず、だんだんと話さなくなるのに、「なんかかる」だけはどうしても抜けません。

「もたれかかる」なんて使いません。私はこれからも「なんかかる」です。

 

 

 

でも、「ねえ、なんかかっていい?」より

「ねえ、もたれかかっていい?」のほうがなんとなくロマンチックな色気を感じるのはなんででしょう。

 

 

「なんかかる」って今思えば、なんか疲れて「よっこらしょ」って感じがするのはなんででしょう。

 

 

「なんかかる」に楽になるイメージがあるのはなんででしょう。

 

 

「ねえ、あなたにもたれかかっていい?」なんてちょっと大人じゃん。

(あくまで個人的な意見)

 

そう思うと、「もたれかかる」が自然と口から出てきたときには私もすっかり大人の女性になっているのかもしれません。(それだけでは、大人の女性にはなれません)

 

 

 

でもやっぱり「もたれかかる」が抜けない私はこれからも、

 

 

「ねぇ、なんかかっていい?」

「なんかかりなよ」

 

って言い続けることでしょう。一生。

 

そして、いつか生まれてくるかもしれない私の子供にも、「もたれかかる」ではなく「なんかかる」を標準語としてインプットさせ、大分県の血をつなげていきたいと思いました。

 

 

(なに、「なんかかる」へのこの地元愛。)

 

 

さ、ちょっとベッドになんかかって本でも読んでから寝よう。